バラエティー

光一さんの「ダーリング」!!

あまりの懐かしさに、こちらでご紹介。

もちろんデビュー前、
あの「TOKIーKIN大急行」でのコーナー
「ザ・ベストテン」です!
YOU TUBE の動画がこちら。
見られるでしょうか?

当時、光一さんは17歳。
ジュリーが好きだった私は、光一さんがジュリーの
曲を歌うというのでドキドキでした。
(ジュリー=沢田研二さんです。念のため)

このころの
「ザ・ベストテン」のコーナーでは、
光一さんの「松田聖子」「ジュディ・オング」
「山口百恵」がその衣装とメイクと共に雑誌にも
たくさん出ていて大評判でした。

他にもこのコーナーで、さまざまな曲を歌っていました
が、ここでハモリをかなり担当していましたね。
このころから、隣はもっぱら主旋律のみで、進歩
がありません。

TOKIOと共演したバラエティー番組はこれだけで、
貴重な番組でした。
「ザ・ベストテン」以外にもおもしろいコーナーが
たくさんありました。

最終回では、全員でローラースケート、手に花を持って
歌ってくれました。
この時の動画がこちら。

もっと続けて欲しかった番組です。
半年ほどで終わってしまいました。

このあと、
「LOVE LOVE 愛してる」が始まります。

デビュー前後の2年ほどは、
毎日何かの番組があって、今振り返っても
幸せなときでした。

単純に光一さんがいるからKinKiを応援していて、
何の疑問も葛藤もなく、ファンとして一番幸せなとき
でもありました。

動画を見ながら当時を思い出すと、
あの頃の楽しさが蘇ってきます。


しばし、昔に戻って、何もかも忘れていたい、などと
思う20年後の今日です。

「ピカイチ」スタートは1999年10月!

光一さんが20歳を過ぎて、おそらく一番忙しいときに

頑張っていたのが「ピカイチ」の資格ゲットです。


2000年4月には「ポップジャム」が始まっていますから、
このあたりの2年間は、光一さんをTVで見ながら、
バラエティーと音楽番組の両方で「ソロ」の光一さんを
堪能できる、ファンにとっては本当に幸せな時期でした。


日テレさんの「日曜昼」の時間帯は
「それ行けキンキ」から長いこと続きましたね。

「Gyu!と抱きしめたい」
  ↓
「KinKi Kids のGyu!」
  ↓
「ピカイチ」 (99年9月~2001年9月)
  ↓
「ジャパン☆ウォーカー」 (2001年10月~2002年3月)
  ↓
「世代密林」 (2002年4月~9月)
  ↓
「ジェネジャン」 (2002年10月~2003年3月)
  ↓
「遊ワク☆遊ビバ」 (2003年4月~2004年3月)


その後、月1回の「ジェネジャン」がしばらく続きましたが・・・・・。
いずれにしても、
関西在住の自分にとっては、
深夜の2週間遅れの楽しみではありました。


光一さんはこのような「バラエティー番組」の中で、
いろいろな顔を見せてくれました。

「ピカイチ」では、
黒縁メガネで試験にチャレンジし、たとえば「お弁当を食べる」
といったさりげないシーンで、ファンの心をひっさらい、
「ソフトボール審判員」では、試験に当たる方の心を捉えてしまい、
大いに褒められていましたね。


矢島アナウンサーとの絡みも楽しくて、
光一さんの魅力がいっぱいでした。

また「ジェネジャン」では、
本気の語りにびっくりさせられたり、
なるほど、光一さんはこういうことを言うのだな、
と改めて納得したり。
得るものがたくさんありました。

光一さんにとっても、
ファンにとっても、
貴重な時間でしたし、体験だったと思います。


時は流れて。
今、2016年1月。

SMAPの一件から、いろいろな事務所の問題が明らかに
なりました。

今後のことはまだまだ分かりませんが、
ファンが抱える不信感が少しでも改善されることを
期待しています。

Toki-Kin急行 好きだよ!好きやねん!

1996年10月に始まり、1997年3月に終了。

TOKIOとKinKiが今となっては唯一共演したバラエティー番組です。
光一さんも、のちに言っていましたが、時間があればもっと
いろいろ考えて続けたい番組だった、と。


いろいろなコーナーがありました。
「恋愛専科」
「ふかわくんといっしょ」
「ストリートファイター」
「ザ・ベストテン」など。


「ふかわくんといっしょ」は、ふかわりょうさんとダンスをする、という
コーナーで、ふかわさんのデビューとなったコーナーです。
かなり笑わせてもらいましたが、ここでふかわさんが、光一さんを
さして『ひまわりのような笑顔』と言ったひとことは忘れらない言葉です。
やや長めの髪にバンダナをして、笑顔がほんとうに「ひまわり」のよう
でした。


「ザ・ベストテン」では、KinKiが「ピンクレディ」や「あみん」に扮して歌ったり、
TOKIOがアルフィーになったりして歌いました。
中でも、光一さんの”ジュディ・オング””山口百恵””松田聖子”
は強烈に記憶に残っています。
”ジュディ・オング”は本当に綺麗でした。


また、沢田研二、郷ひろみの曲も、そのようなスタイルで歌っていて、
一番好きなコーナーでした。
さらにチャゲ&飛鳥「万里の河」などでの「ハモリ」もあり、
光一さんが低音部や高音部を担当、主旋律はいつも隣の人で、
こういったところはその後も変わりなく、隣の進歩のなさはすでに
この頃から見えていましたね。


光一さんが東山さんのパートを担当した「少年隊」も秀逸でした。
あとで実際の少年隊の振り付けと照合すると、一箇所だけ手が反対
で、光一さんが崩れ落ちていました。
今も記憶にのこる楽しい番組でした。


そのほか、
光一さんの嫌いなロケで、
「街のストリートダンサーのラジカセを借りて1曲踊ってくる」
という指令をうけて
V6の”Take me Higher”を踊ったのですが、
時間はかかったものの、生でバック転まで披露して、V6の振り付けも教えて
その場のみんなに拍手されたのでした。
男の子ばかりの場に飛び込んで、大丈夫かと心配しましたが、
光一さんは頑張っていました。


TOKIOとの「トライアスロン」対決や「レガッタ」対決もありましたね。
「ストリートファイター」のしょうもない対決
(洗濯物の早干し競争とか)
「恋愛専科」のちょっとドキドキの設定
(リーダーにはかなり笑わせてもらいました)


デビュー前のKinKiの曲『DISTANCE』も確か「ザ・ベストテン」で
初披露でした。
コントも歌も「ふかわくん的な」ダンスも、
さまざまな「対決」も。
楽しく面白く見ていました。
もっと長く続いて欲しかった番組でした。

「今日も実験するマメ」

「マメマメ星」からやってきた「マメマメ星人」が登場したのは、

「それ行け KinKi 大冒険」のとき?
「~大放送」のとき?
「大冒険」は関西で放送されていなかったのしら?
とも思うのですが、残っているビデオが「大放送」のもの
ばかりです。


そこで登場するのが懐かしい「マメマメ星人」
「でんじろう」先生(?)と一緒に実験に励んでいましたね。

たとえばこんな実験。
{オランダ涙の作り方}・・・・涙形のガラス?を作るもの
{アルコールロケット}
{超音波美顔器}・・・・この時、洗顔のために「マメマン」のかぶりものを
              外した光一さんにドキドキ!洗顔しなくても綺麗でした!
{空気砲のあそび方}
{鉄で焼き鳥}
などなどがあって。

そうそう、
『マメマメ星人 地球に現るスペシャル』というのもありました。

ここでもお母さんや子供たちと一緒に空気砲で遊んでいましたね。
確かこの頃のコンサートでも、マメマメ星人が登場していた記憶が
あります。


1997年のCDデビューのころ、この番組以外にも、
「Toki-Kin」「バリキン7」「負けたらアカン」
さらには「LOVE LOVE あいしてる」もありました。

デビュー前にこれだけのレギュラー番組を持っていたグループ
というのは、ジャニーズ史上で他にないのではないでしょうか。
それだけに世間の注目も期待も大きかったですね。

とはいえ、
やはり、注目を浴びることになった一番のきっかけは「ドラマ」で
あったというべきでしょう。

デビュー前年の1996年。
1月からは「銀狼怪奇ファイル」
4月からは「若葉のころ」
10月からは「サイボーグ」が放送されました。

1996年のお正月には
「山田太一新春ドラマ パパ帰る」が放送されていますが、
私としては「普通の」16歳を演じたこの作品が一番好きでした。
また、しばらくはドラマを振り返ってみたいと思います。

「それ行けKinKi~」のころ

1995年が「家なき子 2」の年だとすると、翌年1996年は

「バラエティー」番組がスタートした年と言えるでしょう。

もちろん1996年はドラマ「銀狼」があり「若葉のころ」があって、
デビューを目前にしてTVでの露出がドーンと増えた年でした。

「Toki-Kin 急行 好きだよ 好きやねん」「負けたらアカン」
「バリキン7 勇者の戦略」
「LOVE LOVE あいしてる」
と一気にレギュラー番組が増えて、ほとんど毎日のように
TVでキンキが見られました。


その中で、どうしても欠かせないのは「それ行けKinKi~」です。

これは、日テレの日曜昼のバラエティーで、その後、「ピカイチ」
へと続き、さらに「ジェネジャン」へと繋がる”光一さんソロ番組”
の誕生のもとになっている番組だからです。


KinKiとしてやってきた番組が、「ピカイチ」のタイトルで光一さん
ひとりの番組になったとき、日テレの決断に驚きもしましたが、
大変嬉しかったのも事実。

以後、この時間帯では光一さんがMCを務める「ジェネジャン」
が最後は不定期でしたが、2005年まで続くことになります。

その始まりの「それ行けKinKi 大冒険」「それ行けKinKi 大放送」
は、あちこちに出かけてゆくロケ番組でした。

今、あれから20年経って、フジTVで同じような番組をやっている、
これはフジTVの企画の酷さをよく表していますし、日テレとフジには
20年もの『差』があるのか、と呆れる思いです。

この日テレの番組は関西ではリアルタイムで放送されることは無く、
たしか2週間後の深夜に放送されていました。

この点だけは皮肉にも現在のフジTVの番組と同じですね。
ですから多分毎回見ていたのではないと思うのですが、録画して
見ていた中でいくつか印象に残っている場面などをあげてみたいと
思います。


まずは「初めてのスキー」です。
これは加山雄三さんのスキー場に行ってスキーを教えてもらおう、
というもの。
この時の光一さんは何度も転びながら頑張って、最後は無事に
斜面を滑っていましたね。

さらに所ジョージさんがゲストの回。
所さんが持っているたくさんのシューズを公園に持って
行って、陰干し、アンドひなたぼっこ。
このあたりはかなりのうろ覚えですが、所さんから好きなシューズ
をあげる、といわれてあれこれ選んでいた姿を思いだします。
ビデオを見返してみればいいのですが、今となってはそれができず。
本当に考えなければいけないビデオの整理です。


この頃のゲストとして、確か、森久美子さんもいらっしゃったと
思いますが・・・・・。
昔のビデオを引っ張り出して少し確認したいと思います。

その他のカテゴリー